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くノ一応援インタビュー

アイウエオ矯正歯科医院が応援する女子サッカーチーム「伊賀フットボールクラブくノ一」。その成り立ちと実績、現状について設立当時からのくノ一を見つめ続け、現在は伊賀FCくノ一の統括部長を勤める山村清さんにお話を伺いました。

歴史:1976年創立。サッカー熱の強い伊賀で生まれた名門チーム

廣島先生
“くノ一”は1976年創立だそうですが、全国的にみてもかなり歴史のあるチームですよね?

山村さん
そうですね。日本初の女子サッカークラブチームの誕生は1972年ですから、歴史的にはかなり古いチームといえます。昔から伊賀は男子サッカーが盛んな地域で高校、社会人チームともに数々の大会に名を連ねていました。サッカー熱のある地域だっただけに女子サッカーチーム発足への動きも早かったわけです。

廣島先生
創立当初は市民クラブチームだったんですか?

山村さん
当時、三重県サッカー協会の仕事をしていた伊賀市在住の松尾喬さんが発起人となり、小学生から高校生までの女子を集めてつくったのが伊賀FCくノ一の前身ともいえる「伊賀上野くノ一サッカークラブ」でした。市民クラブチームでしたから、私たち男子サッカーOBも練習などのお手伝いに行きましたよ。年数を重ねるうちに滋賀県や名古屋からも上手な選手が集ってくるようになり、どんどん強くなってゆきました。

廣島先生
1988年にはプリマハムがスポンサーになり実業団チームになりましたね。

山村さん
 “くノ一”は女子サッカーのトップリーグで   ある「日本女子サッカーリーグ」の第一回大会から参戦しています。実業団チームになったことで選手の補強はもちろん、練習環境、遠征費用などさまざまな面が充実しましたから、チームはどんどん強くなりました。日本女子リーグ優勝2回、全日本女子サッカー選手権大会優勝3回、国民体育大会優勝2回などの実績を残しています。

廣島先生 
“くノ一”の存在は知っていましたが、これほど歴史と実績のある名門チームとは知りませんでした!

山村さん
ただ実業団チームとして強くなっていく一方で、地元との距離は広がっていったんです。この頃は企業主体の運営でしたので…。実業団チームとしての活躍は10年ほどで終わります。1999年に企業の撤退が決定したときはチーム存続の危機でした。

廣島先生
そのときの選手たちの反応はどうだったんですか!?

山村さん
辞めてゆく選手もいましたが、「続けたい!」と残ってくれた選手もたくさんいました。その中には代表入りするクラスの選手もいましたね。どうにか存続できるように手配して、2000年から市民クラブチーム「伊賀FCくノ一」となったんです。

現在:2000年から市民クラブチームに。選手のほとんどが働きながらの活動

廣島先生
市民クラブチームになって何が変わりましたか?

山村さん
まず選手の働き先を探しました。チームとしての給料も出せませんし、練習もそれまでのように昼間はできませんから、仕事終わりの夜の練習に変わりましたね。市民クラブチームということで、立ち上げ当初は市から補助金も頂きましたが、ユニフォーム、遠征費、練習環境、人件費…ぜんぜん足りませんでした。

廣島先生
今も選手は働きながらサッカーをしているんですか!?

山村さん
もちろん。現在チームには32名の部員が所属していますが、ほとんどが社会人です。1年ごと誓約書はかわしますが、基本的には選手の自由意志で所属しているというのが現状です。ですから運営面ではいろいろと苦労があります。

廣島先生
具体的には?

山村さん
お金を出して選手を雇っているわけではないので、チームとしての拘束力が無いようなものですから、優秀な選手や将来有望な選手の引き抜き、移籍を止めるすべがありません。また運営費も限られますので、練習グラウンドは芝ではなくて土ですし、遠征に行くときも昔は飛行機や新幹線を使用していましたが、今はほとんど長距離バスです。長距離バスで移動して試合をして長距離バスで帰ってくるということも当たり前。その翌日は普通に仕事ですから過酷ですよ。

廣島先生
そんな環境ではサッカーを続けたくても続けられない人もいるでしょうね。

山村さん
ええ。するとチームも弱くなりますし、サポーターも離れてゆく…。2008年にはL2リーグ()に降格することに。その少し前くらいから、チーム創立当初のメンバーが集められ、“くノ一”の建て直しを図るべく試行錯誤しました。「選手がいる限りチームを存続させたい」と。私がチームスタッフとして本格的にかかわり始めたのもこの頃です。

廣島先生
スタッフもほとんどボランティアで支えている状態ですか?

山村さん
そうです。なので市民の皆様の支えには本当に感謝しています。チームではサポーティングメンバーを常に募っています。多いときは個人会員の方で1600名くらいがご協力してくださってましたが、増えたり減ったりしつつ現在は900名くらい。企業は180社に会員になって頂いています。

廣島先生
市民とともにあるチームですね。

山村さん
ええ。市民の応援あって成り立っているチームです。ですからサポーター企業様から声がかかればイベントなどにも積極的に参加しています。地域貢献することで、市民とチームの距離が近くなれば応援してくれる方ももっと増えると思います。

応援:伊賀で多くの人が観戦できる受け入れ態勢、会場の整備を

廣島先生
いろんなイベントで“くノ一”の選手の皆さんをお見かけしますよ。

山村さん
ありがとうございます。
ただ、やはり市民の支えだけでは運営が厳しいというのは先にお話した通りで、特に試合会場については悩みどころです。

廣島先生
ホームグラウンドは確か上野運動公園ですよね?

山村さん
そうです。なでしこリーグの試合会場としてやっていける最低限の設備を整え上野運動公園のグラウンドをホームにしていますが、更衣室も狭いですし、更衣室から直接ピッチに出られないつくりですし、何より専用の駐車場もない。今、なでしこJAPAN人気で女子サッカーに注目が集っていますが、澤選手率いる神戸INACとの試合が決まっても、上野運動公園では受け入れができないため、急遽、鈴鹿でやることになりました。

廣島先生
設備の問題で鈴鹿になったわけですね!?せっかく伊賀にたくさんの人が来るチャンスなのにもったいない!

山村さん
はい…。行政には毎年のように陳情していますが、これがなかなか。ぜひ市民の皆様からも声をあげていただきたい。せめて伊賀で3000人くらいの観客がゆったりと観戦できるような環境にしたいです。

廣島先生
東海地方で唯一の「なでしこリーグ」参戦チームでもこのような現状なのですね。

山村さん
決して良い環境とは言えないです。でもやはりトップリーグでサッカーをしたい選手は多いですから、毎年全国から応募がありますよ。

廣島先生
全国からサッカーをやるために伊賀に集るんですね。

山村さん
はい。そういう意味では人気のあるチームですから、ホームグラウンドの件も地域活性化のために他の地域からオファーが無いわけではないんです。

廣島先生
えっ!?“くノ一”が伊賀の外へ行ってしまう可能性もあるってことですか!?

山村さん
地域に支えられてきたチームですから、今のところその予定はありませんが、選手がサッカーに集中できる環境というのは魅力的です。伊賀でその環境が整うよう私たちも頑張っていますので、地域のチームとして、まずは行政に動いていただきたい。そして応援してくださっている市民の皆様にはチームの現状を知っていただきたいですね。

廣島先生
なるほど。身近なようで意外と知らないことって多いんですね。今日は勉強になりました。私も微力ではありますが、伊賀FCくノ一サポーターとして、これからも応援してゆきたいと思います。

※L2リーグ/現在のなでしこリーグ(1部)の下のリーグ、チャレンジリーグ(2部)にあたる。


アイウエオ矯正歯科医院が応援する女子サッカーチーム「伊賀フットボールクラブくノ一」の応援インタビュー第2回。2010年から監督を務める大嶽直人さんに指導者としての立場から見たチームの現状、3年目に向けての意気込み、そして伊賀の印象についてお話を伺いました。

2010年から“くノ一”の監督に。はじめての女子チームの指導に試行錯誤

廣島先生
伊賀FCくノ一の監督を引き受けられた理由は?

大嶽監督
いちばんは伊賀FCくノ一の統括部長、山村さんの熱意ですね。2009年に明治学院大学体育会サッカー部の監督をしていたときに、三重県サッカー協会を通じて山村さんと知り合いました。チームについてとても熱心に考えていらっしゃって「力を貸してほしい」と何度もお話をしてくださって…。

廣島先生
それまでに女子チームの監督をしたことはあったんですか?

大嶽監督
なかったです。2001年に現役を引退してからプロサッカーチーム、ユース、大学と…男子の指導に関してはコーチや監督をひと通り経験していたのですが、女子チームはしたことがなかった。だから自分にとっても指導者としてステップアップできる良い経験になるのではないかと思いました。

廣島先生
大嶽監督にとってもチャレンジだったわけですね。

大嶽監督
そうです。監督のオファーを受けたときの“くノ一”はチームとしても、環境としても非常に厳しい状況でした。でもそんな中で、なでしこリーグへの昇格を決めた。すごいなぁて思いました。良い環境ではなくても上へあがれる底力を見て、少しでも力になれれば…自分も挑戦してみよう!って、思ったんです。

廣島先生
はじめての女子チームの監督。男子との違いなどありましたか?

大嶽監督
やはり男子とはぜんぜん違いますよ。男子の場合はシンプルにサッカーのこと、戦術のことだけに集中すればよかったのですが、女子の場合は、個々の性格、プライド、選手としての意識の差、選手同士の人間関係などいろんな要素がありますから…。言い方ひとつにしてもすごく気を配りました。まずは信頼を得ないと話しも聞いてもらえないので(笑)、最初は試行錯誤でした。

廣島先生
うちも従業員はみんな女性なのでよく分かります。女子チームをまとめるコツなどあればぜひ教えていただきたい!

大嶽監督
女子をまとめるコツ…まだわかりませんねぇ(笑)。1年目でチーム内の状況や個人の考え方なども少しわかってきましたし、信頼関係もだいぶできてきたと思いますので、2年目は意識改革に力を入れてきたつもりです。個人面談をしたりもしていますが、もっとコミュニケーションをとって欲しいですね。相談などももっと気軽にしてもらいたいし、サッカー以外の人間関係を積極的に築いて、視野を広げて欲しい。あとは32人のバランスを見ながらいかに調整してゆくかですかね。

廣島先生
意識改革とは具体的にはどのようなことですか?

大嶽監督
市民クラブチームではありますが、運営費はサポーターの会費を含めクラブが工面しているわけですから、そういう意味ではセミプロです。クラブの方針や戦術、団体としての責任感をみんなが持たないといけない。でも実際はただチームに所属して楽しくサッカーができればいいや、という意識の人も少なからずいるわけです。そんな意識ではチームとして勝ちにこだわる人と同じレベルのプレーはできませんよね。

廣島先生
なるほど。女子サッカーだけでなく一般的な職業にもあてはまるお話ですね。

大嶽監督
チームもクラブも常に変わってゆきますから、その状況に応じて選手も変わる必要があるわけです。その調整力がある選手が活躍できる選手なんですが、中には自分のスタイルに固執したり、挑戦する前に「できない」「やりたくない」とあきらめてしまったり…これではチームは強くなりません。意識の高い選手というのは、そのあたりが言わなくてもできる。周囲にあわせて臨機応変に対応できるから進化するわけです。でも意識の低い選手はなぜ変えなければいけないのかが分からないから、挑戦することさえしないんですね。チームとして強くなるには、自分の役割は何か、何をすべきかという意識をみんなが持てばもっと上にいけるんですよ!

廣島先生
なるほど。個人的な都合だけでなく、チーム全体の中での役割や責任を把握して対応する…大事ですね。

2011年、2年目はなでしこリーグ6位。満足するのではなく危機感を

廣島先生
伊賀の印象はいかがですか?

大嶽監督
人があたたかいですねぇ。助けてくださる方、協力してくれる方がたくさんいますし、空気もきれいだし、食べ物も美味しい。のんびりと穏やかな気持ちになれます。こういう土地柄なのだから、伊賀の中で地元チームをもっともっと応援してもらえると思うんです。そのためにはこちらから今以上に情報を発信し、試合会場など設備面も整えていかないと。

廣島先生
ホームグラウンドの設備面の問題は大きな課題ですよね。試合をしていても駅からグラウンドまでの案内も出ていないし、公園の中にあるので分かりづらいですし。

大嶽監督
そうなんです。せめて伊賀市民の一割程度は集客できるような環境が望ましいですし、試合会場としてもっと分かるようにのぼりを立てたりですとか、工夫が必要ですよね。行政や市民の方を含め、まずは現場を、現状を見て欲しい。そのためには“くノ一”が強くなること。強くなれば地域にもいろんな影響が出て、それが活性化につながると思うんです。

廣島先生
2011年はなでしこリーグ6位という結果で終わりましたが、監督2年目を振り返っていかがでしたか?

大嶽監督
順位があがったということは、選手の力も伸びている証拠ですし、市民の皆さんの応援が後押ししてくれた結果だと思います。1年目に比べ戦術面や結果においてもレベルの高い要求をしましたし、特に後半戦、その要求に対応できる選手が頑張ってくれたと思います。

廣島先生
2011年は「なでしこジャパン」の優勝もあり、女子サッカーへの関心が高まりましたよね。

大嶽監督
そうですね。女子サッカーは長い間不遇の時代があって、でもあきらめずに頑張ってきた結果が世界一という形になったわけです。だから、“くノ一”の選手も今は大変かもしれませんが、あきらめず、とにかく挑戦してみる気持ちが大事だと思っています。6位になったから良かったではなく、2012年は6位以上の結果を残さないといけないという危機感を持って欲しい。

廣島先生
サポーターは今年よりも来年はもっと上位に!と、どうしても期待の目で見てしまいますからね。

大嶽監督
ええ。6位という順位をどうとらえるか、そこも選手の意識の差が現れる部分です。優勝も狙えるくらいのチーム力はありますから、あとはみんなが高い意識をもって団結できるかがカギです。そういう意味では年齢に関係なくやる気のある選手、あきらめない選手には積極的にチャンスを与えて、伸ばして行きたいです。

2012年、勝負の年。ぜひグラウンドに足を運んで生の試合を見て欲しい

廣島先生
就任3年目の2012年、注目の選手、見て欲しいポイントなどありますか?

大嶽監督
注目の選手はたくさんいますが、しいて一人あげるなら宮本ともみ選手ですね。ゲームキャプテンができる責任能力と意識の高さ、なにより動ける。ベテランですがまだまだ可能性を感じる選手です。

廣島先生
日本代表、オリンピックと世界を経験している選手が“くノ一”にいることはすごいことですよね。しかも宮本選手はご結婚もされていて、お子さんもおられる。サッカーと仕事と家庭の両立・・・大変でしょうね。でも、そんなすごい選手の試合を地元で見られるのはありがたいですね。

大嶽監督
そうですね。せっかく地元にチームがあって試合もやっているので、ぜひグラウンドに足を運んで生で見てもらいたい。女子は男子に比べて試合も見やすいですし、面白いと思いますよ。チャンスをあきらめない姿勢、しっかり走る姿、みんながゴールに絡むような試合運びなどにぜひ注目してください。サポーターのみなさんの応援が力になりますので!

廣島先生
最後に、咬み合わせについてお考えのことなどありますか?

大嶽監督
サッカーはボールを蹴るときに歯を食いしばりますから、咬み合わせは大事だと思います。体の軸を鍛えるという意味でも骨格のバランスが悪いと良くないですからね。

廣島先生
そうですね。職業柄、ついつい選手達の歯並びを見てしまいます。見た目の美しさはもちろんですが、骨格のバランスや、力の入り方などスポーツ選手は繊細な部分との関わりもあると思いますので、そういうケアの面でも協力できればと思っています。
本日は興味深いお話をありがとうございました。


アイウエオ矯正歯科医院が応援する地元女子サッカーチーム「伊賀フットボールクラブくノ一」。今回の応援インタビューは日本代表経験者であり、一児の母でもある宮本ともみ選手です。幼少時代からプロになるまでのサッカー人生、そして第一線で活躍しながらの家庭や子育てとの両立についてお話をお伺いしました。

高校時代は男子と一緒に練習。夢中になれるものに出会えたことがラッキー

廣島先生
サッカーはいつからはじめたのですか?きっかけは?

宮本選手
私の地元は神奈川県の相模原なのですが、そこは昔からサッカーが盛んで、ひとつ上の兄がサッカーをしていましたし、父も少年サッカーチームのコーチをしていました。その影響で私も小学1年生からサッカーをはじめて、4年生には地元の女子クラブチームでプレーしていました。それから中学、高校、そして今に至るまでずっと続けています。

廣島先生
別のスポーツに興味を持ったことはなかったのですか?

宮本選手
子どもの頃はサッカーをしているのが当たり前と思っていました。4年生からずっとレギュラーでしたし、楽しかったから続けてこられたんだと思います。当時、女子サッカーをしている子はまだまだ少なかったので、だからこそ「やってやる!」って思っていましたし、途中で辞めるのがなんか悔しくて・・・。負けず嫌いなんでしょうね。

廣島先生
学校での部活はどうしていたんですか?

宮本選手
通っていた学校に女子サッカー部はなかったので、高校時代は男子サッカー部で男子に混じって練習していましたし、試合にも出ていました。

廣島先生
え!?男子に混じってですか!?いくら上手でも男性とは体力や体格などの差があって大変だったんじゃないですか?

宮本選手
スピードは違うし、体力もあるし、それはもう大変でした。でも何とか3年間やりきりました。このときに根性が身につきました。今思うともう少し遊んだりしてもよかったんじゃないかって思うくらい、サッカーばかりしていました。夢中だったんです。でも何の迷いもなく、それだけ夢中になれるものに出会えたことがラッキーですね。

廣島先生
プロとしてやっていこうと考えたのはいつ頃ですか?

宮本選手
高校2年生の夏に伊賀のプリマハム(現・伊賀FCくノ一)から声がかかって、夏休みに練習に参加しました。それまではサッカーを職業にするなんて、考えたことはなかったんですが、そこでプロの選手と一緒に練習して、すごいな…って。上には上がいるんだなって思って。そのときに、このチームに入りたい!って思ったんです。

廣島先生
ずばりサッカーの魅力は?

宮本選手
サッカーを通して学んだこと、得たことは多かったです。挨拶、声かけ、思いやり…いろんなことが自然と身につきました。いちばんはチームワークの大切さ。チームでの練習は自分の都合だけではできないですし、個々が強いだけではチームは勝てませんから。自分の子どもにも何かチームスポーツをやって欲しいです。

出産後「悩むくらいならやってみよう!」と復帰を決意。適度な運動がストレス発散に

廣島先生
高校卒業後の97年にプリマハム(現・伊賀FCくノ一)に入団。神奈川から伊賀に来ることに不安はありませんでしたか?

宮本選手
伊賀という土地に来ることよりも、プロとしてやっていけるのかどうかが不安でした。それに最初はサッカー部の寮とグランドの往復で、あまり伊賀を満喫する時間もありませんでしたし。運転免許をとってから、少しずついろんなところに行くようになりました。早いもので伊賀に来てから今年で16年目です。

廣島先生
16年目ですか!すっかり伊賀市民ですね。その間には日本代表としてオリンピック、ワールドカップ出場、結婚、出産、復帰とさまざまなことがありましたね。そんなに長くサッカーを続けてこられた理由はなんですか?

宮本選手
ケガもしましたし、結婚、出産といろいろありましたが、そういったことが理由で辞めるっていうのが嫌で…ここまでできる!って見せたかったんです。

廣島先生
産休後の復帰には迷いや不安はなかったんですか?

宮本選手
妊娠が分かったときは出産したら復帰してサッカーをやりたい!って思っていました。でも実際に産休に入って、小学1年からずっと続けてきたサッカーをはじめて1年以上休んで、前と同じようにもどれるはずがないって考えるようになって…。少し悩んだのですが、悩むのがしんどくなって、やってみてダメなら辞めようって結論になりました。

廣島先生
すごい!“悩むくらいならやってみよう”という考え方、なかなかできないですよ。

宮本選手
結局、5月に出産して、その年の12月から自主トレをはじめました。最初は大変かなって思っていたんですが、思っていたより動けたし、日々成長してゆくのが楽しくて、いいストレス発散になりました。おかげで育児も楽しくでき、無理なくトレーニングもできましたね。

廣島先生
宮本さんはサッカーが日常生活に良い影響を及ぼしていますね。素晴らしい。

宮本選手
ほんとにサッカーがあって良かったなって思いました。で、翌年の2月からシーズンインに合せてチームに合流。スムーズに復帰できました。

廣島先生
すごい!復帰して出産前との違う部分はありますか?

宮本選手
無理をしなくなりました。昔はただ一生懸命やればいいと思っていたんですが、いい意味でゆとりができたというか…自然体でいられます。視野も広くなりましたし、周りの人に心から感謝できるようになりました。以前よりも今のほうが心身ともに充実しています。

廣島先生
2009年、東京電力女子サッカー部マリーゼへの移籍を決意したときはどうでしたか?

宮本選手
2008年にくノ一の二部降格が決まったときに「これだけ頑張って、ダメだったんだから神様が辞めろって言ってるのかな」ってはじめて考えました。でも当時の監督に相談したら「まだできる」って言ってくれましたし、主人も「あと何年できるかわからないサッカー人生なのだから、悔いのないようにやり切って欲しい」って背中を押してくれて…。3歳の息子と2人で東京へ行きました。

廣島先生
え!?ご主人はご一緒じゃなかったんですか?

宮本選手
はい、主人は伊賀で仕事がありましたし。主人や義母は本当に協力的で「思う存分やっておいで」と送り出してくれました。ただ、私の親は違いました。子供のときからやりたいことをやらせてくれてきた両親でしたけど、このときばかりはさすがに主人や主人の家族に申し訳ないって反対しました。特に母には「絶対大変よ」って何度も言われました。

廣島先生
お子さんと2人暮らしで、サッカーをしながら子育てもして、お仕事もあったんですよね?実際、大変だったんじゃないんですか?

宮本選手
マリーゼ時代は、朝、子供を保育園に預けて、午前中にお仕事をして、午後に練習、そして保育園に迎えに行ってという毎日でした。遠征や試合のときはヘルパーを雇ったり、実家の両親にお願いしたりでやりくりしました。費用は会社が出してくれましたが、手配は自分でしなければいけなかったので、遠征のときはその土地のヘルパー業者さんを事前に調べたり・・・。

廣島先生
そうだったんですね。驚きました。今でも女子サッカーの中では宮本選手が唯一のママさん選手ですよね。お子さんのいる選手へのサポート体制というのもまだまだ整っていないんでしょうね。

宮本選手
私だけでなく、すべての働く女性も同じだと思いますが、子育ては本当にいろんな人の手を借りて成り立っているんだなって、実感しました。子どもが健康で、周囲が協力してくれて、私はサッカーができている、させてもらっているって思ったら独身の頃よりもサッカーに対するメンタルな部分は強くなりました。周囲の支えは大きいです。

廣島先生
なるほど。大変さばかりを考えてしまいがちですが、良い部分もるわけですね。

子どもを産んだ今のほうが心身ともに充実。五輪代表も狙っています!

宮本選手
子どもを産んでからのほうが心身ともに充実しています!。時間が限られる分、集中してやらなきゃいけないので、昔より集中力は格段にアップしました。何をしようなんて迷っている暇がないので、優先してやらなきゃいけないことの判断力や決断力もつきました。あとやっぱり自分だけでサッカーをしているわけじゃないという責任感ですね。

廣島先生
1年間のマリーゼ時代を経て2011年に伊賀FCくノ一に復帰。現在のチームの中での役割は?

宮本選手
細かいことはキャプテンがいますし、私は口でどうこう言わず、最年長選手として「行動」を見せることで、みんなにエールをおくっています。試合に出たり、しっかり走り続けることで「私がこの年齢でできるんだから、みんなも頑張って!しんどくなったら私を見て!」って感じで(笑)

廣島先生
なるほど。宮本選手のようにイキイキとサッカーとご家庭を両立されている先輩がいると、後輩にとっても心強いですね。

宮本選手
結婚も出産もサッカーも何が欠けても今の自分はいないと私は思っています。けど、すべての人がそうだとは限らないので、何が何でもサッカーを続けたほうがいいよと言うつもりはありません。人それぞれの選択があっていいと思います。サッカーだけでなく、仕事と家庭の両立というのは、やっぱり大変ですし、周囲の理解と協力あってこそですから。

廣島先生
そうですね。家庭と仕事の両立は多くの女性のテーマですね。
ところで、今年はオリンピックイヤーです。日本女子代表候補の合同合宿メンバーにも選出されましたが、ロンドン五輪への手ごたえはどうですか?

宮本選手
代表入り、めちゃくちゃ狙ってますよ!この間のワールドカップのなでしこジャパンの試合を見て息子が私に「何でこの試合に出てないの?」って言うんです。子どもも分かる年齢ですから、世界で戦う姿を見せてあげたい。最後のチャンス?なので後悔の無いように頑張ります!

廣島先生
さすが、何度も世界を経験している宮本選手だけに心強い言葉です。伊賀のサポーターも応援しています!4月からはいよいよシーズン開幕です。今期の抱負は?

宮本選手
なでしこジャパンが結果を出してくれて、今、女子サッカーはチャンスのときだと思います。くノ一は今期もスポンサーがついてくれましたし、ホームグラウンドの改修予定もあり、徐々に環境は良くなってきています。本当にありがたいです。このきっかけをブームで終わらせず、継続的なものにするためには今頑張って、一人でも多くの人が面白いと思える試合をしたい。だから昨年以上は当然として、今期は優勝争いに絡みたい。そして、これから先、女子サッカー選手になりたいって思う人が増えるように、子どもたちが憧れるような、夢見れるような道をつくってゆきたいですね。プロとして。

廣島先生
今日はいろいろと興味深いお話をありがとうございました。最後に、咬み合わせについてお考えのことなどありますか?

宮本選手
試合が終わったらアゴが痛くなります。やっぱり歯に力を入れてくいしばってるんでしょうね。

廣島先生
そうですね。力を出すには咬み合わせも大切です。強い緊張が続くとけっこうな力が加わりますから、もっとリラックスできると痛みも軽減すると思います。スポーツ選手にとっては咬み合わせも大切な部分ですから、そういったケアの観点からも応援してゆきたいです。

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